口から出まかせ日記【表】

酢の物が美味しい時期になりまして。

自分でも忘れている手ごたえ。

 

月の空気の清々しさはどこへやら。すっかり世間は俗臭にまみれているではないか。昼に行きつけの食堂に入ったら、隣りも後ろもカネの話ばかり。しかも、明るい儲け話ではないのです。自分の会社で受け取っている助成金は本当いうと不正受給なんじゃないかみたいなことを訥々と話しているのですよ。食堂内の空気はどんよりしてしまい、餃子も頼んだはずなのに一向にやってくる気配もありません。令和5年も始まったばかりなのにもうこれですか。


それはいいとして、最近、新しい趣味になりそうなことを始めました。

 

なにしちゃってんのかというと、紙粘土細工です。紙粘土で形を作り、アクリル絵の具で彩色、仕上げにニススプレーを拭いたら完成です。きっかけは去年の年末、新しい干支にまつわるものが欲しくなり、民芸品とかを売ってる店を覗いてみたのですね。そしたらまぁ、よくありがちな張り子細工が並んでいました。もちろん兎年なのでウサギの置物がたくさんあった。


それらを眺めていると、「なんや、俺でも作れそうやんけ」なんて急に思いついたのです。寅とか辰とか、あのへんは彩色が難しそうですが、見た感じウサギぐらいならやれそうだなと。それなりの張り子細工を買おうとすると三千円はくだらないけど、自分で紙粘土で形を作って彩色するんだったら、正味、原価二百円もせずに作れるんじゃないか、なんてカネ絡みの発想で、さっそく粘土やらなにやらを買いました。


で、おそらく四半世紀ぶりぐらいのレベルで粘土に触れたのですが、なんか、びっくりするほど手が癒されましたね笑。粘土で形を作っていて、手が満足しているのが自分でも分かりました。なにかしら足りていなかったものが、粘土をこねたり、筆で彩色している指先からぐんぐん吸収されている感じ。そのうち「ほしメンタルクリニック」とか開業したら紙粘土細工を人に薦めるかもしれないぞ。

 
最近、ダルマさんも作りました。

ノコギリで木を切りたくなったり、泥に手を突っ込んでみたくなったり、ちょっと手を汚してみたくなることってたまにありませんか。他の人のブログを読んでいても、急に木彫り細工をはじめたりとか、土器みたいなのを作り始める人も見かけますし。ただ、こういうのってもしかしたら、それぞれの人の過去になにか関係があることかもしれませんね。自分でも忘れかけていた「手ごたえ」のようなものが、急に恋しくなるのかもしれない。


私も紙粘土をこねていて、なかなかいい塩梅の手ごたえを感じているのですが、もしかしたら私が忘れているだけで、手の方はこういう類の手ごたえをずっと覚えていたのかもしれない。昔はよく馴染んでいたような手ごたえを、自分の手に与えることを怠っていると、手の飢餓感が本人の意識に伝わり、唐突な欲求の形で現れるのでしょうか。


思えば、手の働きっていうのは、だんだんと実用一辺倒になってきますね。子供の頃は意味もなく砂をいじったりして、手に与える感触自体を楽しんでいたのが、やがて実用的な方面へ向いていき、役に立つ何かを組み立てたり、仕事上で必要な処理をするための手になっていく。実質的な意義のあることに手の働きが偏重すると、かつて自分が満足を感じていたある種の手ごたえが、生活から零れ落ちてしまうこともあるのかもしれない。


そういえば、定年退職した人が蕎麦打ちにハマる、なんて話をたまに聞きますが、あれは蕎麦が好きとかいう前に、それまでに蔑ろにしていた手の感触を、蕎麦打ちを通して取り戻そうとしてるんじゃないですかね。ちなみに私の親戚にも定年退職後に蕎麦打ちを始めて、かれこれ八年くらい経つ人がいるんですが、それがクソみたいに下手くそなんすよ。この八年間いったい何をしていた。もう蕎麦打ちなんてやめちまえ👹

 

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ジェフ・ベックも、YMOの高橋幸宏さんまで亡くなってしまい心細い限り。