口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

旅先で知る自分の勝ち負け。

 

うすぐ三月になるというのにフツーに寒いのですが笑。だからといって、布団から顔だけ出してニコニコしているだけじゃ、一年の計をしくじるというもの。今のうちに計画を立てねばなりますまい。なんの計画かというと、そりゃ、旅行の計画ですよ。


実をいうとその三月に旅行の予定があったのですが、取りやめにしました。理由は金を浪費したから。パソコンとスマホが急にお空へ旅立ってしまい、買い替えるのに金を使ってしまいました。10万程度ですが私にしては大金。ここへさらに旅行に行って、5・6万も使うような胆力が私には無いのです。春は地元で満喫しようと思います。

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まあ、金があろうとなかろうと、計画を立てているときって、(旅行より別なことに金を使う方が良くないか。そもそも金を使おうとすること自体考え直した方がいいんじゃ……)みたいな心の声が頻繁に湧くし、旅行している最中にも聞こえてきますが、旅を終えて時間が経つにつれて、「やっぱりあのとき旅行に行ったのはいい選択だったな」と、そう思えてくるのが不思議です。


何故だろう。「自分が自由だった」ことに後から気づけたからでしょうか。旅行の最中は、色々なことを追うのに夢中で感じられないのだけど、改めて思い返せば、いつもより五感をよく使いながら過ごしていた気もするし、旅先での自分の行動が、普段の自分よりもずっと本質的な気もして、暗示のような役割を果たし続けるからこそ、旅行の思い出は劣化しないのかもしれない。

   
4年前に行った大船渡の風景は凄まじかった

 

そういえば、勝ち組、負け組ってありますけど、具体的な誰かと比べて勝ち負けを考えるのは不毛だなと感じます。でも、これまで自分の経験したことと比較し、勝ち負けを考えることは悪いことじゃないだろうなと。そういう意味で、どういう状況で自分が心地良くなれるかとか、逆にこういう場では楽しめなかったとか。自分の精神状態の中にある「勝ち」と「負け」を改めて知ることができるから、身銭を切って旅行する気になるんじゃないかと思うんです。


じゃあ、私が旅行先で「勝ち」を感じる状況ってどういうのか。例えば、上に貼った画像みたいな風景をたった一人で眺めてるときなんかは滅茶苦茶テンション上がりますね。こんな凄まじい光景を、いま地球上で私ひとりが独占している。やばくなーい、みたいな笑。巨大な単位と比較したくなるような何かと遭遇してしているとき、「勝った」と感じるところがある。


逆に、「負け」を感じることっていうと、これは皆さんも結構あるんじゃないですか。旅行って、小さな負けと、それを覆す大きな勝ちしかないんじゃないかというくらい、小さな不条理がそこら中に散りばめられているような。海鮮丼を頼んだら見本とは大違いのしょぼいのが出てきて1860円取られたり。お城に行ったら数年先まで工事中で防護シートが掛けられて見えなかったり。池の鯉を撮ろうとしたらスマホを落として鯉に食われたり。ちょっと路肩に車を置いて戻ってきたらフロントガラスに紙が貼られてたり。


小銭がなくて神社で賽銭が払えずちょっと自販機の下あたりを漁ってみたり。目の前を電車がゆき過ぎて次の電車は1時間52分後だったり。ハチだかアブだかよく分からん虫に襲われたり。旅行中はしょうもないことも多いけど、景色を眺めたり、温泉に浸かったり、ビールを飲んだりして、なんだかんだ最後は勝つ。というか勝ちに持ち込みたい。でも、理想に届くようで届かないこともある。だからこそまた旅に出て、勝ったり負けたりする。そうやってドツボにハマり、すっかり人類は旅がやめられなくなったのです(断定)

 

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最近、Yo La Tengoの新譜が出たので聴きまくっています。