口から出まかせ日記【表】

家にあるホッカイロすべて有効期限切れ。

もしも時間が壊れたら。

 

っか行きてえなぁと、思っております。蔓延防止等重点措置も終了したことだし、暇を見つけて二泊三日ぐらいで旅行しようかなんて考えてるんですが、県外に出るのはちと怖い。まあ県内なら安全かというとそうでもないですが。ウィルスに「ハレ」も「ケ」もないし。でもそうやって躊躇しているうちに、こないだ接種した三回目のコロナウィルスワクチンの効力が日々減衰していく。頭がぐるぐるしてきます。


もし旅行に行くとすれば、どんな旅行にしたいか。まず魚介は欠かせない。美酒も勿論のこと、花鳥風月も織り交ぜる。行きずりの美女との出会い。露天風呂で月見酒しながら放屁。まあ、色々と好ましいイメージが浮かぶわけですが、わがままを詰め込みすぎた旅行はひたすら疲れます。アクティブな時間と、のんびりできる時間。緩急をつけて楽しめるように計画したいところ。


そう書くと、あたかも旅行できる暇な時間がすでにあるみたいな言い方ですが、現状はそれなりに忙しいです。有給溜まってるんで使おうかな。ちゃんと休むのも仕事だし。などと考えると、ますます半端な計画は立てられない感じがしてくる。適当に有給使って家でごろごろするとかいうのは、有給にはふさわしくない感じがするのです。有給って、折り目正しく休ませてもらうみたいな感じがあって、私にはちょっと苦手な概念。いっそ辞めたるか仕事。


とゆことで、そのうち旅行したいって話です。おしまい。で、終わっちゃうとブログの威信に関わるのでもうちょい書きますが、こんなご時世なのに、私はよくもこう好きなように遊ばせてもらってるなとつくづく思います。ゲームに飲酒に散歩にブログと、好きなことばかりさせてもらっている。それが可能なのは、諸々のバランスの上で、その時間が得られてるからこそ「ありがたく」遊ばせてもらっているんだよなぁ、という実感がますます強くなってきました。


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時間に対して「ありがたい」と思うのは妙な感覚かもしれませんが、人間的な感情で捉えるなら一番しっくりくる気がします。私も有限の存在だし、もちろん周りにいる人たちも有限の中で時間を意識している。「時間は存在しない」なんておっしゃる偉い人もいますが、それは想像こそできても、時間の存在を無視できる環境にいる人はいないでしょう。人と人との関係性の中で、個々人の時間が創出されていることを、人は意識せざるを得ない。


ただそれは、人との関係性といっても、日常的に自分と目を合わせる人たちだけの影響だけで済まされるわけではなく、まったく顔を合わせたこともない人たちからの影響も相互に受け合いつつ、はじめて与えられるのが私の「時間」です。そう考えると、私にいま時間が与えられていること自体、不可思議な現象に思えてくるし、いつその時間がなにかに侵食されるかも分からない不安が呼び起こされます。


戦争に災害。ここのところ色々起きていますが、感じるのは「時間は急に壊れる」という現実です。しかも、これはいつどうなるか予測ができない。備えることもできますが、あくまでも平和な時間にイメージした想定の中での備えであり、実際に自分がどんな状態に陥り、どのように時間を失うことになるのかまでは想像できません。自分自身が失われて時間そのものが無くなる場合もあれば、命は残っても自分の生活が破壊され、それまでの時間もろとも崩れ落ちる場合もある。


実際にそれが起きている事象を日常的に眺めながら、なぜ自分は呑気にブログを書いたりできる自由な時間が得られているのか。時間の不公平さに、思いを馳せざるを得ません。しかも時間の不公平は、じきに私にもやってくるかもしれない。その時、私は時間を享受して、平和と自由を満喫している人たちを呪わずに済むだろうか。寧ろ、かつて自分にそうした時間があったことを感謝できるのだろうか。そんなことを考えながら桜が咲くのを待とうと思います。

 

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最近、記憶の彼方から呼び起こされた曲。