口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

生活の「ターン制」について思うこと。

おとといあたりからですが、アクセス数と読者登録をしてくだる方が急に増えて驚きました。こらぁいったいどうなっとるんじゃいと思いましたが、よく観察してみると、【購読中のブログ】のページの右側に、「おすすめのブログを並べといたから読んでみたらどうすか~」と、親切なんだか余計なお世話なんだか分からないブログ一覧表がありますが、そこへ私のブログが紹介されたことによる波及効果のようです。じっちゃんの名に懸けなくても謎はすぐ解けました。

 

しかし、【こんなブログもあります】の一覧に、ブログが紹介される条件とは何でしょう。記事数? 継続日数? PV数? 読者登録数? まぁともかく、はてなブログさんからの「がんばれよ」というメッセージであると解釈してきます。のんびりと精進していきたいと思うのでお手柔らかにお願いします。読者登録をしてくださった方々のブログにも、追々、訪問させていただきますね。

 

 

★★★

 

話は変わって、大船渡市から実家に戻ってきて数日たち、生活パターンとしては元の木阿弥です。というか、よりインドア傾向になってます。暑くて外になんか出られません。こないだなんか、郵便受けの手紙を取ってくるだけが唯一の外出でした。外出時間は5秒です。

 

昨日はちょっと頑張って近所をぐるっと回ってきましたが、途中で、すっかり干からびたアマガエルが仰向けでアスファルトにこびりついているのを見て、「明日は我が身だ」と感じてすぐ逃げかえりました。で、室内を快適に冷やしながら、ブログを書いたり、屁をこいたり、ちょっと変だった時の貴乃花のモノマネをするなどして悠々自適に過ごしています。

 

インドアな生活だと、自然とネットに触れる時間が増えますが、大したことはなんにもしてません。ふと思いついて、この暑さの中、他のニートの人たちはなにをしているんだろうと思って調べたりするわけです。すると、よくキーワードとして出てくるのが「ターン」という言葉です。

 

 例えば、「今日は○○と△△をやりたいと思っていたのに、ターンが足りなくてできなかった」とか「1日で1ターンしか行動できなくてつらい」という感じで使われています。「ターン」というのは、チェスなどのボードゲームや、RPGといった、自分と対戦相手の間で交互に行動の順番が回ってくる、「ターン制を持つゲーム」で使われる用語ですね。

 

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本来は遊びで使われる用語を、自分の生活に当てはめて使う人がいるのです。ターンというものを「行動力」の単位と捉えている。例えば、「午前中に買い物と、郵便局と、病院に行ったから、3ターン動けた」とか「今日は病院にしか行けなかった。1ターンしか行動できなかった」という感じで表現します。そして「ターン」の回数が少ないと、悩む人が多いようです。「今日はもっと色々なことをしたかったのに、結局1ターンしか動けなかった。私はダメだ……」という感じで、鬱っぽくなってしまう人もいるようです。

 

私は、生活にターン制を持ち込んで落ち込むくらいなら、「ターン」なんて意識しなければいいのに、と思います。誰かと「ターン数」を競っているんでしょうか。つまり、「ゲームをしている」というのなら、相手に勝てないから悩んだりするのは当然のことです。でも、別に競う相手がいないのに関わらず、生活に「ターン」を持ち込む必要はないんじゃないでしょうか。「自分と競っているんです」ということなら、仕方ないです。

 

あと、「今日は○○に行くのが精いっぱいで、1ターンしか動けなかった」と悩む人は、こう考えてみてはどうでしょう。例えば、その日は病院に行って、医者に診察してもらったとします。あなたからすると、病院で診てもらったというのは、「1ターン」として数えられます。でも、診てくれた病院の先生もまた、あなたのために「1ターン」を使ったといえるわけです。

 

「ターン」というのは、相手がいるからこそ成立する概念です。だから、あなたがターンを使うと、他の人もあなたに対応して、ターンを使っている。そういった相互作用を意識したほうがいいと思います。あなたの行動は、誰かの行動と対になっている。あなたはひとりぼっちではないのです。

 

それから、対応する相手がいなくても、行動をとることはできます。それを「ターン」という単位に当てはめてしまうのは、自分から狭苦しい生活を望んでいるのと同じです。誰かと会うイベントがあるなら「ターン」と表現し、誰とも会わない行動なら「ターン」は使わない、というように分けて意識するのはどうでしょうか。