(今年の5月に一度投稿したものを修正したものです。無職だと、声を出す機会がググっと減るので、意識して声を出すために、ブログとか新聞とか、目に入った文章を音読する癖がついてます)
★★★
一週間くらい前に、家の庭のKM(草むしり)をしたばかりなのに、もう雑草が復活している。見たことのない草まで生えてきました。葉が刃物のように湾曲した邪悪な印象の草です。食ったら確実に死ぬると思われます。欲しい方はコメント欄に住所氏名年齢電話番号を明記のうえ(以下略)。
昨日、図書館で借りた本を返すために外出したときは、ぬるま湯の中を移動しているようでした。逃げ場のない、窒息しそうな暑さ。「あつい~、死にたい~、草間彌生~」などと意味不明なことをつぶやきながら、ゆらゆらと歩いていきました。
途中、通り抜けた公園では、おじさんがベンチに座ってフラメンコギターの練習をしていました。目を瞑りながら歩くと、自分が南米のどこか知らない場所に居るみたいです。そういえば、ギターとか弾きたいなぁと思いつつ、もう十数年が経っています。肝心のギターを手に取ることがないまま、ウクレレやら尺八やらに手を出している。なぜだか、自分の本心から微妙にずれたことをする癖が昔からあるのです。
夕方ごろ家に帰ってきてから、ブログの文章を打ち始めます。ブログを書く時は、いつも声に出しながら文字をうっています。「ひとり口述筆記」とでもいえばいいのか。ブログの文章を声出ししつつ、だいたい同じスピードでタイプしています。
これは大学時代からの癖みたいなものです。レポートの課題なども、声出ししながらWordやExcelやPowerPointで作っていました。ぶつくさ言いながら、パチパチとキーを叩いているわけです。社会人になってからも癖が抜けず、「君はAIなのかな」とか言われたことがある。
傍から見ると結構不気味かもしれない。ここ数年は誰かが近くにいるような時には、黙ってできるようになりましたが、職を辞めてからというもの、元に戻りつつあり、正々堂々声を出しています。聞かれていたとしても、幽霊とか蚊ですしね、問題ありません。
無職だと声を出す機会が失われがちです。前職は介護職でしたから、コミュニケーションそのものが仕事のようなものでした。辞めてからはぐっと会話の時間が減って、一日中ほとんど誰とも喋らない日もあるのですが、ブログを書く時のこのスタイルが、減った会話量を補っているともいえます。
他の方のブログを読むときも、音読をすることがあります。あんまり長い文章はさすがに控えますけど、二千文字くらいなら音読しながら目を通します。読みながら強く感じるのは、文章に何が込められているかであり、人それぞれに持っている個性を感じられること。そこから相手の生活の背景を察することもある程度はできます。
もう何十年も前から速読とか聞きますけど、私は嫌いです。自分の糧になれば、という感覚が強すぎて、文章に敬意を払っていないような気がする。早食いしている人みたい。なんだか無粋だなと思うのです。