口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

3つ何かができれば良しとする。

ラーメン屋に行った。完食できなかった。チャーシューも残した。少し前までぺろりと完食していたのに。食べ盛りが終わったのかも。店の外に出ると野良猫がいて、「俺、食べ盛りが終わったんだよ」と真顔で話しかけたのだけど、てめぇの話なんて興味ねえんだよという感じでとっとと行ってしまった。

 

それはどうでもいいとして、無職であろうとも求めているのは生活の質なので、ラーメンを食べに行くし、バイクにも乗る。達成感を自作しながら生きている。もちろんブログも、それを感じられるもののひとつ。

 

同時に達成感を自作する難しさを感じる。その簡単な解決法は、仕事をすること。強制的な流れに身を任せてしまえば、嫌でも達成感が得られる。その代わりに時間を失い、達成感を自作する能力が奪われる。そしてお金を使うことで得られるものを、自分の欲求と同一視しがちになってくる。周りの人間を観察していて、大体の人がそうなっていった。さらにはローンやら何やらで動きが取れなくなってきている。

 

無職になって良かったのは、自由な時間を得られるのと同時に、「達成感を自作することの難しさ」を感じられたこと。これは真理的な感じだ。時間を奪われればそれで苦しく、時間を得られると、それはそれで苦しみがある。

 

この苦しみは良いとか悪いとか単純に判断するものではないと感じる。苦しみは知恵や知識、信念を生む。人間が人間らしく生きるために欠かせないものであり、苦しみの形というのは人それぞれにある。私は私なりに苦しみ方を選んだのかもしれないと考えている。

 

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そろそろタイトルを回収する。「3つ何かができれば良しとする」とは、達成感に関する工夫だ。無職になり膨大な時間を得ると、かえって達成感を得ることが難しくなり、へたをすると時間にのみ込まれて溺れて苦しむ。だからこそ、自分なりの基準を保ち続けることが必要になってくる。

 

私はその日に3つ、何かやったのなら、それで納得するようにしている。例えば、ブログを書き、中国語の勉強をし、ウクレレの練習をしたら、もうその日の基準を満たしたという事する。逆に言えば、一日に3つくらいは何でもいいから進歩的な事をする。

 

この考え方は期間を広げても有効だと思う。一か月の間に、自分のやりたい事や、必要だと考えて身につけたいものを、3つくらいは進めることが出来たか。一年の間に、自分が達成したことが3つくらいあるかを意識をする。きっちり捉える必要はなくて、後々思い出して「あんなことしてたな」と思い出せる程度でいい。

 

私にとっては、その一日、そのひと月、その一年ごとに「グラデーション」があることが、充実感と直結する大事な事だ。そもそもグラデーションとは色調などの「段階的変化」の意味。何かしら時間に色付けを施し、それを後から思い出してみる。自分が過ごした時間に色彩の変化のようなものを感じられると、満足することができる。