口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

近所を楽しめるようになるまで。

こないだの土曜日は天気が良くて、家にいるのは罰当たりな気がしてバイクで出かけた。なにをしに行ったかというと、「廃旅館めぐり」。地元は温泉地に恵まれているけど、行ってみると、廃業した旅館やホテルがけっこう目立つ。わたしは廃墟好きなので、建物が年季を帯びて徐々にぼろぼろになっていく過程が好き。廃墟が育っていく感じがする。

 

誰もいないはずの部屋のカーテンがゆらゆら揺れていたりもする。カーテンが急にしゃーっと開いて死ぬほど驚いたこともある。というか、廃墟だと思って眺めていたら、廃墟みたいにボロボロなだけの通常営業な旅館だったりもする。なんかすいませんでした。

 

こないだ大船渡市に行ったきり、遠出をしていない。移住の話はどうなったんだと自分でも思うことがあるが、計画はしていて、腰が上がらないだけ。もうちょっと涼しくならないとやる気がでない。10月に入ったら動こうかと思う。そんなこと言ってたら年を越したりして……まあなるようになるだろう。

 

なかなか腰が上がらないのは、ここ数年ですっかり近所の面白さに目覚めたからかもしれない。半径10キロ圏内をふらふらするのが楽しくて飽きない。同じ場所でも季節によって状況が変わったりして、その変化も楽しい。ただ、そう感じられるのはある程度の仕込みがあるからだとも思う。

 

20代の頃は金さえあれば、東京やら京都やらとしょっちゅう出かけていった。それは周りにいた人間もそうで、沖縄や台湾へ連休さえあれば行く人もいた。話をすれば遠くの事で話題になる。京都の○○という豆腐屋、神戸の○○というパン屋、熊本の○○というラーメン屋の話で盛り上がる。

 

豆腐屋もパン屋もラーメン屋も、ごく身近にあるものなのに、遠い場所だからこそ価値があるような気がしてくる。もちろんそこでしか味わえないものもあるけれど、もしかしたら、自分たちが無視している近所にも、味わったことのないようなものなどいくらでもあるのかもしれない、という考え方をまるっきり喪失していた。

 

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でも、30代が近づくにつれ、遠くに出かける頻度が減ってきた。他の人もいつの間にか、近所の蕎麦屋とか、パン屋さん、和菓子屋さんの話をするようになった。なんでこうなったのかは、いろいろ複雑な要素が絡み合っているのだろうが、一言でいってしまえば「大人になった」というしかない。

 

いろいろ経験をして満たされると、尖ったものも刺さらなくなってくる。それは、ひとりひとりの能力が高まってきた証拠であると思う。宣伝を疑うようにもなる。美味しいと喧伝されるものも、本当にそうなのか、自分の経験と照らし合わせて答えを出すようになる。

 

それに、若い時というのはやっぱり寂しいんだと思う。一人一人に、どうしても固有の欠落みたいなものがあって、それの埋め合わせに奔走するわけだけど、それが各地の美味しいものだったり、観光地巡りだったりする。それで本当に満たされたかどうかは人によるだろう。

 

でも、とにかく何かで埋め合わせたことで、ある程度の年齢からは「満たされた」事を前提とした生活感にシフトしていく。だから近所にあるものでも満足できる。「何が足りないか」ではなく、「どれくらいなら満足できるか」という価値観に代わるからだ。ハングリーな欲望ではなく、ごく普通の満足感に変化する。

 

だから、「かわいい子には旅をさせろ」という昔ながらの言葉に、私は納得する。旅でもして心の欠落を埋められれば、早くも欲望から遠ざかって、自分の能力を当てにした価値観を供えることができるかもしれない。

 

それで、偉そうなことを惜しげもなく書いたその自分はどうなのかというと、欠落はなんとか埋まったけれど、他の人と比べて、自分の能力が高くないことにはっきりと気付いた。でも、得意なことがいくつかあるのでそれを頼っていこうかと、そんなことを考えている。