口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

ブログをやっているとブログをやっていなかったのが謎。

の働きが低下してるんじゃないかと思うほど微妙なタイトルで、すいません。つまり何が言いたいかというと、ブログを書くことが日常的になると、ブログを書いていなかった頃、いったい自分は何をやっていたんだろうという疑問がたまに湧いてくるわけです。皆さんは、そういう事ってないですか?

 

★★★

 

このブログは、私が職を辞した直後から、時間がたんまり余ることを見越して始めたのだが、ブログをやっても時間はたんまり余る。その余った時間は他の事に当てているわけだけど、ブログ単体で考えるなら、「もっと前からやっていても良かったのかもしれない」と思うことが時々ある。

 

この感覚はブログに限らない。ある規則的な習慣がすっかり身についてから、過去の自分を振り返ったときに、「いままでなんでこれをやらずに、無駄な時間を過ごしていたんだろうか」と思う事がよくある。実際には、その時はその時で自分のやりたいこと、やるべきことをやっていたはずで、決して無駄なことばかりしていたわけじゃないはずなのに。

 

だいたい、現在進行形でブログを継続している日常も、未来の自分からすれば、「なんて無駄な時間を過ごしていたんだろう」と捉えられてもおかしくないわけで、確信が持てない行為だ。まぁ、だからこそやっているわけだけれど。確信が持てることなんてつまらないから、これまでいろいろなものに手を出しきたわけである。

 

ただ、それとは別に、今やっている事の確信の持てなさというのは、何か自分にとって身につけておくべきだった、正統な技術というものにいつまでも着手できずにいるからではないか、という感覚がある。もっと早くそういったものを見つけて、継続出来ていれば良かったのかもしれない。せっかく大学も出たというのに、ロクな専門性もないのは、はっきり言ってダサいなぁと自分で思う。

 

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ただ、専門性の前に何があるかといえば、文章を書くことで満足している自分がいるわけだ。結局、そこを掘り下げていくことで、なにか見つけられるのではないかという期待感がブログへと向かわせる。もちろん、ブログというものは双方向的なものだから、「自分も見つけるし、誰かにも見つけてもらう」という感覚も大事にしなくてはいけない。

 

ところで、私はこのブログが初めてというわけではなくて、今までに二つブログを開設している。ひとつは、もう10年以上前に当時の友達と開設したブログで、寺社仏閣に関するデータベース的なブログだった。お互い寺社仏閣巡りが好きという、渋い趣味を持っていたため意気投合し、一緒に300社くらいの寺社を回り、写真を撮り、住職や神職に取材をし、由緒を調べ上げるという、なかなか手の込んだものだった。

 

もうひとつは、20代の半ばに開設したブログで、当時はまっていた古代哲学関連の本から、自分がグッとした名言を紹介しつつ、日常生活へどう応用するかみたいな文章を添えた、特化ブログと雑記ブログの中間的な内容だった。結果を言うと、3か月くらいやって心が折れた。こういったブログは、すでに完成度が高いものがいくらでもあったわけで、改めてイチから作ろうという意気込みが途中で失踪してしまい、パァになった。

 

この「清々日記」が完全な雑記ブログなのは、時流にもネタ不足にも左右されずにやっていきたいからだ。このブログは投資目的というわけでもないので、撤退はしないつもりである。毎日更新なんてものにこだわるつもりはないけれど、できるところまでやってみようかと考えている。