口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

性格は良し悪しではなく、振舞い方では?

格がいい人は社会的に損をするみたいな考え方が、ここ最近は定着している感じがするんですけど、気のせいですか。個人的には、例の『嫌われる勇気』という本が凄く売れた頃から、だんだんそうなってきた感じがするんです。ちなみに私はこの本を読んでないので、何も言えねえ(北島康介風)、しか言えねえです。はい。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 ただ、「性格がいいのは損だ」というのは、私からすると、「いやいやそれ、時代に逆行してるっしょ。性格がいい人こそ、これからはトクするに決まってるよ~」と感じるわけです。それは何故か。これからはAIとの共生の時代に入りますよね。人とコミュニケーションを取るためのAI技術が、どんどん発展していくのは間違いないでしょう。

 

AIでコミュニケーションの欲求を満たせるようになれば、ますます嫌いな人と関わらなくてもよくなります。自分の悪口を言う人や、耳に入れたくもない噂話を垂れ流す人と、接触する機会が少なくなる。そんな暮らしが普通になった世界において、生身の人間で「会いたい」と思われる人はどんな人か。穏やかな性格で、悪口を言わず、励ましたり喜ばせたりしてくれる、優しいAIに匹敵するような「いい人」じゃないかと。

 

さらに想像を逞しくすると、今後は「性格の良し悪し」が社会的信用のひとつになってくると思うんです。性格の良さが他者評価を元に数値として設定されて、それを満たせた人だけの合コンとか、あり得るかもしれないですよ。数値を満たせない人は、そもそも生身の人と会えなくなって、「邂逅格差」が広がるかもしれないです。いやはや、ディストピアですね。あ、お隣はもうすでにそうなっ……おや、誰か来たようだ。

 

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妄想はこのへんにしておいて。そもそも、人の性格は「良い」とか「悪い」などと、そんな単純に区別できるのでしょうか。私は人の性格に良い悪いはあまり関係なくて、ただ、「人に対する適切な振舞い方を知っているか、そうではないか」というのが、大きい要素だと思っています。

 

たとえば人が悲しんでいるときに、どんな声をかけてあげればいいか。どんな態度で接するのがふさわしいか。それを想像したり、自分の過去の経験から思い出して参考にし、相手に実行する。その振舞い方を他人からどう評価されるかが、個人の性格を左右するのだろうと思います。

 

逆に人が悲しんでいることを知りながら、それをさらに傷つけるような振舞い方を知っている人間もいます。振舞い方ひとつで、その人は「いい人」にも「悪い人」にもなれる。つまり、「いい人」に思われたければ、「いい人」と思われるような人との接し方を知り、実行すればいいわけです。

 

 身も蓋もない事を書いてますが、自分で他者に対する振舞い方を決めるのは、大事なことですよ。感情のままに、好きな人の前では「いい人」になり、嫌いな人の前では「悪い人」になる。そんな単純なことでは、世の中渡って行けなさそうです。気に入らないと思う人に対しても、失礼のない態度を意識して採る。なかなかこれ、私も厳しかったりしますが、誰かに自分の心を左右されたくないなら、やっていくしかないのでしょう。