口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

手書きの字は重くなるか。

 

の仕事は雑多な報告書を書いて申請し、承認を得て補助金やらなんやらを受け取らないと回らないという不思議な業界なのですが、書類の多くがいまだに手書きでしか受け付けないというクソゲーっぷりでして、みんなで毎日ミミズがのたくったみたいな字を書きながらとにかく頑張ってます。でも仕事とはいえ、この行為には大層なギャップを感じざるを得ません。


なんせ、普段の生活において字を書く機会がどんどんなくなっているわけで、世界の歩みと逆行しているように感じます。人に手書きの手紙とか出したのなんていつになることだろう。ていうか、そのへんをぜんぶLINEで済ますようになってもう久しいくらいですし。逆にいま、手書きの手紙が誰かしらから届くっていうと私はちょっとビビリますね笑。その人の思いが込められた特別に意志的な行為であり、受け取った人はそれを重く受け止めざるを得ない気がするからです。


それをまた別の側面で考えると、ますます人が手書きで字を書かなくなっていけば、字を書くこと自体が特殊性を帯びて、ますます価値も高まるはずなのです。それこそ習字は、かつて人が当たり前のようにやっていた「筆で字を綴る」営為が時代を経て希少化し、伝統技能のようになったわけですし。それがここ10年くらいだと、万年筆とかも含めてそうなってきてる感じがします。

 

 
ちなみに最近書いた夕飯用の手書きメモがこれ。字が高校生くらいから成熟していない。精神もか笑

 

どんどん便利になっていけば、自分で字を書く必要はさらになくなってくるはずですが、じゃあ、字は書けなくてもいいのかというとそうではなく、「必要性がなくても習得しておくべき教養」のようなものになりそうだなと。もちろん手書きのメモなんかは今後も廃れないでしょうけど、もっと公式的な文章というか、「ここぞというところ」では手書きで書く文化は残って、そこでミミズが機嫌良く踊ってるみたいな字を書いたら、ちょっと恥ずかしい、みたいな。


その「ここぞというところ」で、普段書かない手書きで字を書くのが、ある種の晴れ舞台のようになってくることを想定して、字は綺麗に書けるようにしておいた方がいのかもなぁ、なんて妄想をしています。ちなみに私は7年ぐらい前にも同じような妄想をして、ペン字の月額講座に申し込んだことがあるのですが、毎月送られてくるテキストにげんなりしてきて、積んで放置していました笑。今こそ押入れの深淵に眠るそれらテキストにもう一度向かい合うときが来たかもしれない……


※今後、ビミョーに生活が忙しくなりそうなのを想定して、記事の文章量や構成を見直してみました。基本は変えてないですが、これまでの記事より少し文章量を控えめにしています。

 

youtu.be

最近お気に入りのバンド、First Aid Kit。どことなく懐かしい伸びやかな歌声がいい。