口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

推しを推して自分も推す。

 

が三人くらい集まると、誰かしら「推し」の話を始めたりするものですが、ちょいと注意してほしいのが、話の輪に加わってる人がそれを知ってるとかなら全然いいけど、まるで知らない上に補足説明とかなしでガンガン話されると、知らない側は「なるほど〜」とか「そーなんだぁ」とか繰り返すbot役になるほかなかったりするんで慈しみの心を忘れないでほしい。


それはいいとして、「推し」ってそもそもなんやねんていう人もいるかもしれませんが、ここ5年くらいで定着しかけてる日本語です。その人の好きな俳優さんとかアイドルとか、要は「推薦したい人」を「推し」と呼ぶようになったのですね。その推しに貢ぐ、つまりお金を払ってライブに行ったり、関連商品を購入するのを「推し活」と呼んだりします。


ここまで書いて、いまの自分に推しっているかなと考えたんですが、色んな顔が思い浮かぶんですけど絞れない感じです。20代くらい頃には揺るがないカリスマがいたものですけど、だんだんその「推し」も、自分も年齢を重ねて、もうちょっと落ち着いて見れるようになり、他のものを見る余裕も出てきたのでしょうね。人は自信のない時期に誰かしらを「推し」て、自分の神様にして乗り越えるものなのかもしれない。

 

 


私の身近にも、生活を推しに捧げてるみたいな人を散見しますが、聞くところによると食費とかを削って資金を調達してる人もいるらしく、それどうなんだろって思います。推しを推せるのは、もちろん自分が生きているからこそだし、自分にもちゃんと貢いで、栄養を摂ったりちゃんと寝たりといったことをして人間として扱っていかないと、両立できないものですよね。


「んなのわかってらあ」と言われそうなのは重々承知ですけど、推しに過剰な投資をする人は、推した相手に「人生の代替」を求めているように映ることがある。上でも書きましたが、私も神様がわりにしていた推しがおり、その時期は精神的に辛かった時期でした。その人を応援してるというより、もっとべったりした好意的な粘着って感じで、いま思うとだいぶ痛々しかったのだろうなって思います。


当時と比べれば、今の私は自分でも憑物が落ちたんじゃないかってぐらいさっぱりしてます。推しを推した力で、辛い時期の自分を乗り切ったからそうなれたとも考えられるから、いま、推し活とかで生活が滅茶苦茶になってる人も、ある種の荒治療なのかと考えると、干渉するのが図々しいように感じてしまう。願わくば、ドロドロとした推しとの依存関係のトンネルを抜けた先に、めっちゃ爽やかな風景が広がっていて欲しいです。

 

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歌手で最近の推しをひとり挙げると、やっぱりフローレンス・ウェルチは欠かせないですね。