口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

節目には星を贈りたい。

 

夕もあっという間に過ぎましたが、あれもだいぶ妙な風習ですね。私たちの遙か頭上にて、伝説的なひと組のカップルが年に一度顔を合わせてイチャイチャする。で、なぜか地上にいる我々はそのへんから竹を切って立てておき、「サマージャンボ七億当たりますように」とか書いた短冊を吊るす。壮大ながらも単なるカップルのイチャイチャになぜそこまで夢や希望を託せるのだろうか。私も七夕当日に夜空を見上げてみましたが、星ひとつ見えず。しかも変なアブみたいなのにくるぶしを刺されてまだ痛いし。


話がまるで変わりますが、ある人のブログを読んでたら、「はてなスター」の扱いを迷っていると書かれていました。「他の人の記事を読んではてなスターを押してみたけど、あれでよかったのか正解がよくわからない」とのこと。そう、私もブログを始めて間もない頃はそうでした。ビクビクしながら3個ぐらい押してたはずですが、最近はすっかり気が大きくなり、6個か7個、たまに8個ぐらい景気よく押してます。


なんか、ブログ歴が長くなるにつれて、「評価される側の心象」を慮った足跡の残し方から一変して、自分の感想を忠実に表現するような足跡を残すことに慣れてしまったのですよね。私のつけたスターの数で複雑な感情を抱いた人もいるんじゃないでしょうか。正直、私もこういうのはあまり良い評価の仕方では無いと感じており、そのうち、なるべく意図を詮索されずに済むように変えていきたいと思っています。とはいえ、私のブログにはこれまで通りぜんぜん自由にスターを押していただいて構いませんので〜⭐️

 

 

ブログを読んでいるとどうしても贔屓したくなる内容があるものです。私の場合は、「その人の人生の節目」を感じられる内容だとグッときて、ついついたくさんスターを押し付けてしまいます。私が読者登録をしている方々は、生活上の苦労話を、ユーモアや抑制を効かせつつ文章化できる方が多いのですが、綱渡りのように絶妙なバランスで成り立たせている気配も漂ってきて、どこかしら危うさを感じられることもある。そもそもブログ自体が、それぞれの人の中でいつまで続くと知れない綱渡りをしているようなものでしょう。


一方、実生活においては、綱を渡り切ることもあれば、新しい綱に足を踏み出すこともある。それこそ進学や卒業、就職や退職に結婚や離婚、それ以外にも様々な節目がありますよね。個人的に、人生の節目に関わるブログの内容を特に評価したくなるのは、小さなスタートとゴールが連続している現実の綱渡りをしつつ、ゴールがあるかどうかも分からないブログの綱渡りも立派にやってのけている事実を知ることができるからです。


ブログの世界を見ていて感じるのは、ブログの習慣に明確な入り口と出口があるものだと考えている人は、どうやらそう長く続けることはできないようですね。初めから向こう岸を見て渡っているからでしょう。長く続く人は、向こうに何があるかではなく、綱を渡る感触自体を楽しんでいるようにも映る。でもその裏では、現実の綱渡りに成功したり失敗したりといった、リアルな手応えを感じながら生きていたりもする。そういうギャップを抱える人に、私は信頼を感じるのだと思います。

 

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