口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

文章を老化させないための制約。

 

うかもう10月。急に朝晩が涼しくなり、何を着て娑婆を歩けばいいのやらよう分からん。巷を歩けば皆、てんでバラバラな格好をしています。半袖半ズボン姿のオッサンもいるし、ロングコートを羽織ったかっくいい姉ちゃんもいる。上にウルトラライトダウンみたいなのを羽織り、下はハーフパンツとサンダルで闊歩している無職か大麻のバイヤー風の兄ちゃんもそろそろと歩いておりました。ちゅ、多様性。


多様性といえばブログもそう。私がはてなで購読しているブログは多様性の混沌ですが、それらを無謀にも二極化すると、「文章に年齢が出るブログ」と「文章に年齢が出ないブログ」に分かれるように思います。ただこれ、書いている内容はあんまり関係ないと思います。もちろん子育てだとか、家族の介護に関する記事を書いているなんていうと、書き手の年齢はおおよその予想がつきます。でも、その文章を読んだ時の感触によって、年齢が曖昧に霧隠れしたり、あるいは、剥き出されたりもするわけです。



ところで、私はなるべく文章に自分の年齢が出ないようにしたいと思ってますが、一体どうすればそうなれるのか、よくわからないまま書いている(笑)。とかいって語尾に(笑)とかつけてる時点でまあまあな年齢であることはバレるわけで、一語一語ごとに墓穴を掘っている気がしなくもない今日このごろ。とはいえ、別に文章で若作りをしたいとか思ってるわけじゃない。現実の自分が老けていくのは仕方ないけれど、ブログの文章を老けさせたくはないのです。

 

 


私は介護の仕事をしていた時期があり、高齢者の方と毎日お話をしていましたが、その特徴は「先がいつまで続くかわからない」ことです。話題のサイズ感というものが、老いていくとどうしても肥大していきます。ひとつの話題を皮切りに、次の話題へと移って、それがどんどん間伸びする。加えて本人も記憶が曖昧になってきているから、話があっちにいったりこっちにいったりして、ようやく着地する。といっても、不時着に近いような、なんだかぐんにゃりした終わり方になってしまいがちです。


これはブログもまるで同じだと断じます。そうしたブログの特徴をひとことで言えば、「手際が悪い」のですね。なんというか、ある種の未練が文章全体にしがみついてる感じで、間延びして切れ味が良くない。勿論、どんな書き方であろうが自由ですし、「おめえに文句を言われる筋合いはねぇ」と言われても実に納得なわけですが、ブログは何を書いても自由であるからこそ、その書き手が節度を意識して文章を書いているか否かが如実に表れもするのです。このあたり、上述した「話の間延び」と「老い」の関係性が私の頭をよぎります。


では文章を老化させないためにはどうしたらいいのか。私としては、文章量に制約を設けるのは有効かもなと思います。例えば、「ひとつの記事は千文字以内にする」というルールで文章を書けば、そこに収めるために言葉が篩(ふるい)にかけられます。間延びの余裕をそもそも作らず、枠に収めるよう意識しつつも、自由に書く。文字数の制約と内容の自由という、相反するものを両方兼ねた文章を書き続けられれば、加齢による劣化とは無縁の文章が書けるのではないか、なんて夢想したくなりますね。ということでそろそろ文章が間延びしつつあり、私も急にお腹が冷えてう○こがしたくなったのでこれで終わります。

 

youtu.be