口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

昔、自分に点数をつけていた。


ろそろ我が家でも大掃除しようかと、たわしなんかを買いにホームセンターに行ったりしてますが、これ、ほんとはおかしい。ウチでは寒くなるまえの秋頃から少しずつ掃除をやっていき、「大掃除」なんていうおおごとにせず済ませるのが、ここ数年のセオリーでした。

star-watch0705.hatenablog.com


が、今年の秋は「き、きのこ美味いな〜。わ、笑いが止まらねえ〜。ブヒャヒャヒャ」とか言ってたら、あっという間に過ぎてしもて、気づいたら冬になっていた。しゃあない。きのこが美味かったのが悪い。てことで、いまちょうど机の引き出しとか掃除してます。そしたらこんなのが出てきました。昔、メモ帳に綴っていた日記。

 

 

なんか雑に年月日が殴り書きしてある、14年前の日記帳。そのころ、私はまだ20代前半。恐る恐る中を開いてみたところ、ぶっちゃけ、驚愕するほどに内容が無く、若い時の自分、頭スカスカ過ぎてヤバいなと思わされた。自転車が壊れたとかラーメン食べたとか年金を免除申請したとか書いてあるだけ。ただ、当時は大事な尺度だったのでしょうか。日毎に「自分の点数」をつけているみたいでした。自分でやっといてみたいでしたはおかしいけども笑。


「今日はやることやれたので、80点ということにしておく」「お金の使い方を考えたい。68点」「ダメでした。30点。明日なんとかする」などと書いてある。まあ、なんか独り相撲をとっているような感じですね。しかも、どういう状態を目指しているのか、その基準が日記を読んでも一向に明確になるわけではなく、些細なことで点数が上がったり下がったりしている。ファミチキ食べたらその日の点数上がったりしてる笑。波のように変動する自分の気分に点数をつけていたのでしょう。うん。みとめたくないものだな、自分自身の、若さゆえの過ちというものを〜的な😎

 
76点ぐらいなら相当贅沢です(未来の自分より)


今後、日記やブログで自分に点数をつけるようなことをしたいかと聞かれたら、それは卒業したからやりませんと答えます。私が購読してるブログでも、日々の自分に点数を付けて評価をしているのがちらほらありますが、そこは本人が納得するまでやってもらうといいんじゃないですか。ただ、自分に対する積極的な自己評価って、当人が思っているほどに、その後にも影響するほど明確な土台にはならないんじゃないか。それに、社会に出ると、当人の「働き」を評価されるわけで、自分しか介在しない評価の機会からは自然と離れるものでしょう。


なんというか、「点数」というもの自体、どうしても「学業」を引きずっている感覚がある。自分に点数をつけるという行為自体が、所詮、学生の習慣の域にあるものだと私は感じるわけですね。ちなみに、上のメモ帳以外にも日記を書いたノート類が色々出て、私がちょうど学生から会社員へ移行する時期のこととかも書いてるんですが、会社員になった途端、自分への点数評価をやめてますね。もうそれどころでは無くなった感が強い笑。


自分に点数をつける習慣は、他者からの積極的な評価に晒されたとき、役目を終えるのかもしれません。もしくは、だからこそ自分の評価を行うために続ける人もいるかもしれませんけど、果たしてそれは「点数」という形をとるのものかどうか。そこは人それぞれということで。将来、私も定年になってやることなくなったら、また自分に点数をつけはじめるかもしれないぞ。「餅食ったら死にかけた。だから今日は42点。なんつって」なんてしょうもないこと書くクソジジイになりたいです👴

 

youtu.be

プライマル・スクリームのアルバムで一番好きなのは“Vanishing Point“(消失点)