口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

レンタルで太刀打ちできない本は買う。

 

書の秋とかいいますが、私にとっちゃ飲酒の秋でもあり、過睡眠の秋、初暖房の秋、動画中毒の秋、寒暖差アレルギーの秋とかでもあり、何かにかこつけて、秋だ秋だと言ってるうちに今年も残りわずかとなってしまうのです。恐ろしいことである。ていうか今年、私はなにか成し遂げたであろうか。否。なにも成し遂げてはいない。ただニヤニヤしながら生きていただけのことですよ。


それはいいとして、先日、購読しているブログを読み漁っていると、

azu-simple-diary.xyz


こちらの記事を見つけました。以下、共感できた箇所を引用。

図書館で借りた本をアマゾンで買うという、そんなことを2回くらいやったことがある(今回で3回目なのだけど)

また読みたくなったら図書館に行けばいいじゃんと思うかもしれないが、なんかまた、図書館に行くのがめんどくさいと思ってしまう。

めんどくさいし、考えようによっては「図書館で良い本見つけた!」みたいな、買う本を図書館で決めるみたいな、意味不明な気もしなくもないけど、そんが現象が起こっているんです。


分かります。私も図書館によく行きますが、いちど借りて読み切れなかった本を延長して借りて、それでも読み切れなくてまた延長するかっていうと、それは面倒臭い。というか、そう何度も図書館で同じ本を借りたくなる、執着心そのものにケジメを付けたくなってきて、「いっそ買ってしまえ」という気持ちになり、Amazonでポチることがあります。


で、その買った本は読むのかというと、まぁ、しっかり読み込んでボロボロになることもあれば、買ったことでなにかに満足したせいか、ほとんど本棚から手に取ることもなく置き物と化してたりもします。なにはともあれ、図書館に行くと本を買いたくなる感覚は私にとって普通。ていうか、図書館そのものが「実物を借りれるカタログ」にすらみえます。

 

 
↑図書館で借りて読み切れずに結局買った本たち。読まずに積読になってるのもある。

あと、図書館って「本の形をした縁」に遭遇する場所でもある。なんとなく借りて、「ああ、読んだけどイマイチだった。縁がなかった」と思えば返して終わりですが、「この本、めっちゃ難しいし、著者はハゲたおっさんだけどもう一度借りたい。なんかパワーがある」などと感じ、何度も同じ本を手に取ることもある。で、本って、借り物と私物とでは「太刀打ちのしやすさ」がまるで違うわけですね。借り物では返却日との戦いになり、読む時間を捻出しなきゃだし、自分の集中力や読解力なんかも効果的に動員しないといけない。


でも、私物、買っちゃった本は、そのへんをルーズにできるのがやっぱり良い。読み切るのに何年かかかってもいいわけで、根本的に本に挑むスピードがスローになって、生活にのしかかってこなくなる。いつでも本が自分のそばにあるのはすごい安心感があって、でも、その安心感に満足してしまい、逆に全然読まなくなってしまったりするから、これはこれで難しいところがあるような。


とはいえ、図書館で手に取って「なんか難しい」と感じた本も、手元に置いておくだけで徐々に内容が解けてくることってあるものですね。難しい本に太刀打ちするなら、いっそのこと、思い切って買ってしまい、その本と一緒に夕飯を食べたり、お布団をかぶって寝たりしているうちに、だんだんとお互いにしっくりくるようになる。本と寝食をともにしましょう。ただ、さすがに焼肉屋とかに連れてくと匂いが染みつくからやめた方がいい。

 

youtu.be

これ聴けばいつでもどこでも図書館!!