今週のお題「クリスマス」ということなんですが、私に関しましては予定がなんにもありません(笑)。なにひとつ浮かれた話もない。30代の大男がですよ。このブログのタイトルのように、清々しいほどの無です。せいぜい北海道の親戚から、本場の鮭とばが届いたもんですから、これをさっと炙ってですね、冷酒をキュッとあおるくらいですか。クリスマスもへったくれもねぇ場末のような風情でね。
ところで、いつも楽しいブログを書いているダメラボさんという方がおりまして、私もブログの更新を楽しみにしています。謎が多い人で、身長が180センチあるイケメンという事ぐらいしか把握していませんが、最近ブログでサンタクロースの記事を投稿されたので、読ませてもらいました。
鉄板のあるあるネタですね。サンタクロースの正体が実は、変装した自分の親だったと気づいてしまった時の衝撃、そして切なさ。その瞬間から子供は子供じゃなくなります。クリスマスは子供の祭りであると同時に、子供心を切り捨てる残酷な使命をも担っている、人生における超重要イベントであるのです。
ところで、ダメラボさんの記事を読んでいて、ふと思ったのが、
「サンタクロースを信じなくなったら、いよいよ物心がつくって感じなのかな?」
「それとも、サンタクロースを信じていても物心がついていることになるのかな?」
ということです。いやぁ我ながらめんどくさい人間ですね(笑)。ただ、このめんどくささに真摯に向き合えば、それはそれでブログのネタにもなるかもしれない。という事で向き合ってみました。
そもそも「物心がつく」とは……
上のサイトから引用すれば、「幼児期を過ぎて、世の中のいろいろなことがなんとなくわかりはじめる」ことだそうです。幼児期というと一般的に、1歳前後から小学校に上がる前の5~6歳の年代のことを指すようです。
幼児期以降で年齢制限があるわけでもないようで、いちど物心がついたら、それ以降はずっと物心がついた状態であると。物心がつく以前に戻ることはできないということでしょう。
逆に言えば、物心がつくことなく人生を進めることも可能かもしれません。物心がつくためのトリガーは、幼児期以降であればいつでもいいわけですから。「サンタクロースはワシの親父だったのか……」と80代になってからしみじみと気づくこともできるかもしれない。
物心というのはつまり知識のことを指すのでしょう。「サンタクロースを信じなくなった」というのは「サンタクロースが変装した親だった」という知識を得たからです。裏の事情を知ったことで、夢が消える代わりに、知識を得たということです。現実はそう甘くなくて、切実な部分があるのだという衝撃を、サンタクロースを通して覚えることが多いから、鉄板のネタになるのでしょう。
あと物心というのも、人それぞれに違うものでしょうね。日常的な物心が身についてから、人はそれぞれ成長していくわけですが、その途中でどうしても何かに傾倒していき、専門的になっていくわけです。仕事でも趣味でも。すると、その人にとって物心つく分野と、どうしたってつかない分野というのが出てくるんじゃないでしょうか。
例えば、マーケティングの物心はあるが、デザインの物心はないとか。ブログでいえば、雑記ブログの物心はあるが、特化ブログの物心はない、みたいな。「物心」とは知識だと言いましたが、もっといえば、「舞台裏で何が起きているか」を察する力の事でもあるわけです。
だから、単にマーケティングの知識を得たとしても、そのマーケティングの舞台裏がどうなっているかは、現場を見て知る必要がある。ブログも同じで、PV数を上げたいとか、広告収入で稼ぎたいと考えた時に、単にそのためのテクニックを知っているだけでは「物心がついた」とは言えず、なぜPV数が上がるのか、なぜ広告収入が発生するのか、そのメカニズムを知ることで、ようやく「物心がついた」と言えるのではないでしょうか。
なんだかすいません。こんな難しい話するつもり無かったんですが(笑)。まあ、物心というのは、生きていればどんどん強化されていくものだと思います。それと同時に、夢や希望といった、モヤモヤしたものとの仁義なき戦いが繰り広げられるのが、つまり「人生」と、30年ちょっとしか生きていない私が言ってしまっていいんでしょうか、いいんです!!(ジョン・カビラ風)
なにはともあれ、今日はクリスマスイブです。それぞれがそれぞれのクリスマスを楽しんでいただければ幸いです。あんまり自分や、世の中を憎んだりしないで、自分の好きなものをなるべく揃えて堪能してみてはどうでしょうか。それから全国のカップルの諸君。性の6時間ですよ。頑張ってくださいね。では。